Impression May 18

物の捉え方ってひとそれぞれだなあと思います。
ベートーヴェンピアノソナタ「悲愴」という曲について、この曲は悲しみに暮れていて、幸せだった頃を思い出しているんだと思っていました。
が、うちの母は悲しみを乗り越えて一歩踏み出したところの曲だと言ったのです。
一見似ているけど、nowとwasは全然違います。笑

クラシック好きなひとは、どの演奏家がいいだの指揮者がいいだのこだわりがあるみたいですが、わたしは単純に曲が好きで聴いています。
強いて言うなら、カラヤンモルダウと新世界は好きかな。というかうちにあるCDがそれだからってだけなんですけど。笑
昔祖母が元気だった頃、叔母とひたりでカラヤン指揮の来日コンサートを見に行ったことがあるそうです。
叔母はそのことをよく覚えていて、手が大きいひとだったっと言っていました。
大きい手で壮大に指揮しているところ想像すると胸が高鳴りますね。
彼が得意としたドヴォルザークはわたしも大好きで、「新世界」はチェコの音楽家である彼が、仕事で初めてアメリカ大陸に渡った時に書いた曲だとされています。
とにかくかっこいい、そして飽きない!
わたしは物語性のあるオペラや、モーツァルトとかあんまり好きじゃなくて、わりと近代のクラシックが好きです。
物語がないので飽きないのかなあって思います。
新世界9番を聴くと課題が捗ります。笑

物語を作らず、光と影をピアノで表現したドビュッシー
わたしは彼のピアノが大好きで、クラシックが聴きたくなるとまず彼の作品を聴きます。
リストもショパンも大好きなんだけど、甘い感じがしてドビュッシーのような普遍性は感じないんです。
ドビュッシーは白シャツみたいな感じ。どんな気分にもしっくりあってくれる。
そんなドビュッシーロダンの弟子であり、愛人でもあった彫刻家のカミーユの元彼らしいです!!
すごい時代ですよね。
当時の芸術家たちは後世に自分の交際遍歴まで残ることを意識していたのかな。笑
カミーユの作品は間違いなくドビュッシーに影響を受けただろうし、彼もまた、影響を受けただろうなと思います。
これは全く専門的な話ではなくただの感覚の、わたしの解釈の話なのですが
ドビュッシーは、リズムとメロディーの早さが違う気がします。
特に「月光」の途中の早くなるところ。
桜の花びらみたいに、花びら自体は速く回転しているけど、落下速度は遅いみたいな感じ。
前言った、宇多田ヒカルのbeautiful worldもそんな気がします。
なんでバラードではない、そんな曲だと落ち着くんだろうと考えたんですが、
人間の呼吸と心拍数も、意識と行動も、同じ体にあるのに早さが違う物なので、落ち着くのはむしろバラバラだからなのかなと思いました。

物の感覚、という話でわたしは小説家が女性であるか、男性であるかで表現がだいぶ変わると思っています。特に恋愛の描写で。
社会的な男女差はあっちゃダメだと思いますが、女性はホルモンの変化が激しいので男性と違いがあるのは当然だと思います。体の作りも当然あるしね。
このホルモンの変化というのが、表現の違いの理由だと思います。
ドラマチックだーーこれは男性には書けなかったであろうと思うのは
嵐が丘」、「悲しみよこんにちは」ですね。
どちらも大好きなんですが後者なんて、なんて情熱的でロマンチックなんだ!!(エロの描写のはなしではないです)こっぱずかしくなるほど!!
圧倒的に女性人気がたかそうな作品だなあ。
その中でも江國香織は冷静で淡々としているけど内側に情熱がある文章をかくし、吉本ばななは暖かい。
小説に温度を感じるのは女性小説家ならではな気がします。
ただ、これは例外で堀辰雄の「風立ちぬ・菜穂子」はサガンのような熱を感じます。読んだあと、こっちが照れます。笑

最近吉本ばななを読み漁り、今はなぜかヘッセを読んでいます。笑
一通りよんだら感想書きたいと思います。