アイデンティティを考える「夜と霧」

アイデンティティについて最近よく考える。

 

インナーネットは匿名になれるどころか、別の誰かのように振る舞える。

 

よくインターネットは個人を特定できないため誹謗中傷が盛んにされるというけど、現実世界でも匿名になれば大体みんな、もちろん私も含め酷いことだってできると思う。

 

さすがに顔が割れていたらひどいことはできないけど、一見して個人情報がわからない場面で、人はかなり冷酷だとおもう。

 

小さいことだけど、例えば私の毎朝の出来事を挙げる。

満員電車に乗ったとき、すし詰めの車内でみんな降りる時もすみません、も言わずに押し出して降りることは全然平気。むしろこちらには非はないといわんばかりにイライラした顔で下車していく。

 

会社の最寄り駅におりて会社がはいってる雑居ビルのエレベーターに乗る。

混んではいるし、私の会社以外の人も多く乗り降りするエレベーターの人たちは総じて親切で乗り降りするときもボタンの近くにいる人は開け閉めしてくれるし、すみません、もきちんと言ってくれて、イライラせずとても感じよく同乗することがほとんど。

どちらも顔は判別できるし、身なりでどんな仕事もなんとなくわかるけど

誰も知らないひとと乗り合わせる乗り物として比べると大きく人の対応は異なる。

 

私はこのことがとても不思議だった。

だって、みんな数分前までは満員電車に乗ってイライラして押し合ったりぬかしたりすることは平気なのに、会社のビルのエレベーターに乗ったら180度態度が変わるなんて、まるで人格が変わったみたいだなって思ってた。

個人が特定しやすい空間に入った瞬間、人は人らしく振る舞えるのだと気づくとすごく興味が湧いた。

 

じゃあ、アイデンティティを奪われた世界で人はどう振る舞えるのだろう。

 

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

ずっと前から知っていた本でどこの本屋でもおすすめされている本だった。

内容がとても重くて躊躇していたけど、読んでみたら一気に読めてしまって、余韻も半端じゃなかった。

 

作者はユダヤ人でホロコーストを経験をした精神学者

壮絶な強制収容所生活を知れるこの本は、その負の歴史を学べるということでかなり価値のあるものだけど、私が強く惹かれたのはアイデンティティのない生活について筆者が考察しているところだった。

 

彼は何回も人を人として扱われないことを語る前に

「収容所でつけられた番号」の話を度々引用する。

この世界はだれがだれだってどうでもいい。

収容される前にどんな仕事をしていたか、どこに住んでいたかも気にしない。

ただ人数がわかる囚人番号がわかれば、親衛隊は気にしない。

数がそろっていればそれでいい。ガス室行きの定員も数がそろえばだれでもいい。

 

その中で、残忍で同じく強制収容所の囚人にカポーって役職があるんだけど

これがまたひどい。

親衛隊の下の位になるんだけど、収容された人々のトップにたつ存在。(正確にはグループ分けされてて、ここにリーダーとしているんだけど)

同胞なのに、残忍な行為が許されると酷いことを躊躇なくできる。

与えられた「位」をもらえれば、その通りの人間になる。

こんなに救いのない世界があったのかと思うと、悲しくて読むのが本当につらかった。

 

その扱いの壮絶さも、番号でしか呼ばれなくなった人々が強制収容所に入れられて、生活をして、終戦後解放されるまでどのように心情が変化するのか。

アイデンティティを奪われ壊れていったひとと、生き延びたひとはどう違ったのか。ただ生き延びたのは運だけだったのか。

壮絶な世界で何が救いになるのか。

 

筆者ははじめに、できるだけ一精神学者の体験談として考察したと書いたけど、やっぱり文章に個性は隠しきれない。

頭の良さだけでなく深く状況を洞察し、優しくひとを見つめる筆者の人柄にもすごく尊敬する。

 

この本は戦争は二度と起きてはいけないだけで語っちゃいけないと思う。

自己を失い尊厳を失うと人は人じゃなくなることもきちんとわかっていかないといけないと思った。

 

なんだか、電車の話から飛び過ぎな気がするけど笑

 

ここらへんで。